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篠田正浩監督「映画を青雲館で学んだ」 親交のあった岐阜土地興業の磯谷貴彦さん「感無量」と偲ぶ

「瀬戸内少年野球団」や「スパイ・ゾルゲ」などの映画で知られる岐阜市出身の映画監督、篠田正浩さんが25日、亡くなりましたが、篠田さんと親交があった岐阜土地興業の磯谷貴彦さんが、岐阜放送のインタビューに応じました。
篠田さんは1953年に助監督として松竹に入り、1960年に映画監督デビュー。大島渚監督や吉田喜重監督らとともに、若手世代を代表する「松竹ヌーベルバーグ」の旗手と呼ばれました。
40年以上にわたって岐阜の映画館に携わり、昭和映画の上映を続ける岐阜土地興業の磯谷貴彦さん。
突然の訃報に際して「去年、篠田さんをトークショーのゲストとしてお招きしたかったが、体調が優れないということで、監督からお断りの連絡があった」と身を案じていたと振り返りました。
※岐阜土地興業 磯谷貴彦 取締役
「奇しくも 訃報を受けたその日は、篠田監督の作品をこの劇場で上映していたんですね。本当に奇遇な話なんですけども」
このように語る磯谷さん。訃報が届いた時、篠田さんの映画「乾いた花」が上映中だったことに触れ、「因縁めいたものを感じた」と話しました。
岐阜土地興業にはゆかりの品があります。それがこの色紙です。
※岐阜土地興業 磯谷貴彦 取締役
「ロイヤル劇場というのは、ここを建て替えた時に館名を変えましたけど、それまではずっと青雲館という名前で映画をやっていて、『ここ(青雲館)でぼくは映画を学んだ』という色紙を(篠田監督から)いただいて感無量だったですね」
柳ケ瀬の近くに実家があった篠田さんは、少年時代に「青雲館」に通ったそうで、まさに岐阜が原点でした。
ふるさと岐阜が誇る篠田監督。数々の名作について、磯谷さんは「大衆に好かれる映画とは一線を画していた」と評価し、最後に語りました。
※岐阜土地興業 磯谷貴彦 取締役
「映画人としては憧れです。なぜかと言うと、最後まで映画監督という肩書で人生を終えられた」
「監督が亡くなったのにも関わらず、作品はずっと生き続ける。すごいいい人生だったんだろうなと思いました。私は個人的に篠田監督に何度かお会いして、生でお話を聞けたことが非常に自分としては素晴らしい体験をさせていただけたなと思っています」